中学校の先生だった頃の話~むかしがたり~
短大を卒業と同時に、中学校の先生になりました。
面白いらしい話がたくさんあるので、書いてみますね。
短大に入った時教員になれるのを知った
小学校の時の将来の夢は、音楽の先生になる事だったんです。
でも、子どもにも、人生いろいろあって、学校の先生はあきらめていました。
まず、
ピアノがコンクールに入賞できるぐらいうまくなかった。
運動音痴だった。
勉強はあまりできなかった。中くらい。
学校の先生は、何でもできないとだめと言われた。
人前で話せないと駄目だから、お前には無理と言われた。
全てにおいて、成れそうにないと思っていた。
音楽だけは好きだったので、普通の学校では、いい線行っていたかもしれません。
でも、それだけの話。
短大進学を決めたのは、高校の先生が【推薦してやるから音大に行け】と言ったから。
実は、短大の音楽科は、全く視野に入っていなかった。
あの時代は、音楽短大が1つ。4年大学の、音楽科というより教育学部の中の音楽科がたしかあったと思う。
音楽が出来るなら行こうかな、とその頃の先生に感謝しつつ、音楽科に入学できた。
そこで、中学免許が取れる!という事を知った。
中学2種。中学校の先生になれる免許状。
そうなの・・・?
もしかして、成れる?
勉強は、音楽科の勉強+教員免許取得のための教科。
結構大変だった。
短大が終わった後は、専攻科というのがあって、さらにピアノの勉強をする事が出来たけど、音楽を続けるのは結構お金がかかって、もうこれ以上は、親に迷惑を掛けたくなかった。
なので、とにかく教員採用試験、頑張ってみたら、合格する事が出来た。
ヤッター!
短大は、就学期間が短いので、夏休みも集中講義に取られて本当に忙しかったです。
集中講義は、指揮法とか有りました。
その合間に、免許取得の為の勉強をして、教育実習も行きましたよ。
自分でもよく頑張ったなあと思います。
先生になってからのお話
初任者は、ある場所に集められて、そこでいきなり赴任校が告げられます。
断ったら、そこで終わりになるんでしょうかね?
ちょっとそこはわかりませんが、とにかく1校目、意気揚々と着任しました。
最初の赴任校は、鹿児島市内の中学校でした。
なかなかなマンモス校で、クラス数も結構あって、3年生は選択教科と言うのがありましたから、延べ1400名ぐらい接する機会がありました。
初任の時で、20歳だったから3年生とは5歳しか離れておらず、結構生徒と一緒になって口けんかもしていました。(^^;)
受け持ちは、音楽の教科と社会の教科を一クラス分(自分のクラス)、担任と部活動の顧問も持って、結構大変でした。
毎日朝7時に出勤して、帰りは深夜がほとんどでした。
いくら音楽の勉強をしているからと言っても、授業は初めてなので、その都度勉強が必要でしたし、社会は専門外だったから、改めて教材研究が必要で、クラス担任だったからクラスの仕事もあって、部活動の仕事もあって。
教材の研究や次の授業の勉強は、部活動が終わってからやっていました。
夏は、夕方の7時まで部活だったので、それから夜遅くまで頑張っていました。
日常の事は、ちょっとここでは書けない事もありました。
守秘義務がありますから、ごめんなさい。
今考えてみて、本当に良くやっていたなと思います。
よくやっていたというか、どれもこれも100点にならなかったですね。
こと、勉強に関する事は、子どもたちのためにならないと困るので、一生懸命やりましたが、なかなかうまくいかないこともあって。
でも、本当にクラスの子どもたちは、いい子ばっかりで、優しくて・・・。
専門じゃない社会などは、私が教えているからか、頼りないし、仕方がないと思ったのか、みんな必死で勉強してくれて、平均点は学校で一番でした。
あの頃は、点数で順番も出ていたし、1番取るって事は本当に大変な事だったんですよ。凄いでしょ?
本当に私の力じゃないんですよね~。
そうそうこんな事もありました。
空き時間がたまにあって、そんな時は、自分のクラスの教室で仕事を持ち込んでいた事があったんです。
生徒たちは、移動教室でいない時ですね。
クラスの場所は、2階だったので風が通って本当に涼しかったんです。
授業が終わったらただいま~って帰ってくるんですよね。
他のクラスの子どもたちからは、抜き打ち検査?なんて言われちゃったりしているのが聞こえるんですけど、そんなことはどこ吹く風で。
クラスも部活動も音楽の授業も本当に生徒には恵まれていました。
楽しかったです。
グロッキーになったのは、やっぱりいっぱいいっぱいになっちゃったって事ですかね
学校の先生って初任者だろうがベテランだろうがやる事は一緒なんです。
初任者だからこれは免除ってことは無いんですね~。
それは当たり前ですよね。
目の前にいる子供たちは、待ったなしで成長していくから。
結局、2校目でグロッキー。
これは、30数年昔の話だから、今は大分改善されていると思うんですけど。
この話を他人にすると、驚かれて面白がられるので、ちょっと記事にしてみようかと思いたちまして。
学校の先生は、大変でしたけど、子どもたちとのやり取りは本当に楽しかったです。
真剣だったし、いい加減でやるとすぐに見破られるし。( *´艸`)
まとめ
学校の先生って、本当に忙しいと思います。
相手が成長過程にある子供たちなので、待ったなしです。
なので、ゆっくりと子どもたちと向き合う時間が欲しいんだけどなあと思っていました。
今は、どうなんでしょう。
わが子が学校に入っているころも忙しい先生は、お忙しい感じだったので、やっぱりそうなのかな。
日本の未来を担う子供たちの成長を見守る学校の先生なので、その先生がもっと活動ができやすい環境が作られたらいいのかなと思っています。
画像は、2校目の赴任先です。
恥ずかし~。
最後まで読んでくださってありがとうございました!